心理的に分析
好きの対義語は、嫌いという言葉が当てはまります。
「僕はA君が好き」と「僕はB君が嫌い」と2つの表現が出てきた時、僕にとってAとBは相反する人間となります。
更に、Cという人物を招き入れると僕は次のように表現します。
「C君はどちらでもない。」
この表現は好きでも嫌いでもない、むしろ分からないと周囲に伝える言葉です。
好きと嫌い以外の答えが出てくるのは、すなわち対象となる人間をよく知らないという意志の表れとなります。
僕にとって、Cの存在はいてもいなくても影響を及ぼしません。
一緒に団体行動をとったとしても、Cの参加不参加で気持ちが揺らぐことはありません。
この構図を営業に移してみましょう。
1人の営業マンと1人の消費者が、商品の売買契約を交わしたとします。
消費者はパンフレットを渡されると価格が手頃で、営業マンの説明から商品に魅力を感じて購入を決意します。
代金を支払い該当の商品が到着して開封すると、欠陥が見つかり質を大きく損なうものでした。
すぐさま、営業マンに連絡を取り返金するか同じ商品を手配するかを迫るのですが、この時消費者は営業マンにどの感情を抱いているでしょうか。
始めは、説明が丁寧で貴重な製品を紹介をしてもらったとして好意を持ちますが、製品到着後にまがいものを売りつけられたとして嫌悪感を持ちます。
冒頭の構図でいえばAからBに変化したことになりますが、ここでのポイントは営業マンが絶対にCにはならないことを押さえて欲しいのです。
消費者と営業マンは既に対面して、一度は友好関係を築いています。
営業マンのミスで抱く感情は反転している ものの、直後に返金か再手配かを求めています。
もしCであるならば、クレームを入れることはありません。
契約の責任を要求しているからこそ、営業マンの存在が欠かせないのです。
クレームは、心理的には思いやりと解読されます。嫌いな人間に対しても改善を要求してくるのは、思いやりの心が生まれるからです。
直してくれると信じれば、自然とクレームになって言葉に表れます。
人類愛とクレーム
人間を愛する心を人類愛と呼びます。
人類愛は、国籍・性別・年齢を問わず全ての人間を愛する普遍的な愛と定義していますが、クレームを発する人々は入れる相手に対して物事を納得いく形に収めることを言い渡します。
もし特別な感情がなければ、クレームを発する時間ですら取る気になりません。
改善を求め新たな道を導き出そうとするのは、理屈抜きの人類愛に満たされた所以です。
営業の仕事は、取引相手によらず平等な対応がモットーになります。
クレームに対しては、無駄な邪推をせずに真心を持って処理に当たってください。